発達障害のある子にこそ、「適切に」失敗させましょう
- ヒロユキ先生
- 2024年7月11日
- 読了時間: 7分
更新日:2024年7月19日
近年、不登校や引きこもりが増加し続けています。教師生活を25年間してきましたが、ここ十年の間に本当に増えたな、と実感しています。不登校の原因は、いじめ問題など本人には否がないことも多くあります。こうした場合の対処方としていちばんいいのは「環境を変える」ことだと思います。もちろん、現場の教師たちも真剣に対策は行います。しかし、昨今のデジタル機器を駆使したいじめは本当に複雑な構造になっていて、すべてを根絶させるのは非常にむずかしいのです。その時間、苦しい思いをしなければならないのなら、逃げたほうがいいと私は考えます。教師を取り巻く、学校現場でも同様のことが言えます。不登校や引きこもりの原因は、このような子ども同士のいじめの他に、授業への不適応、教師の体罰など多様な原因が存在します。ただ、そのなかの一つの原因に親子関係によるものも、多々見られます。この項では、そこだけに絞って説明をさせていただきます。

一つは、親の先回り型子育てによる、失敗体験の不足です。これにより「自分にできないことはない」という幼児性を抜け出せなくなった子どもが、現実という圧倒的な壁を前に立ちすくんでしまうという現象が、不登校・引きこもりを引き起こしています。
もう一つは、親の放任型子育てによる、過剰で不適切な失敗体験です。これにより「自分には何の能力もない」という無力感にとらわれてしまった子どもが、生きる気力を失ってしまう現象が、不登校・引きこもりにつながっています。
このどちらかに当てはまる場合は、「4つの習慣」を活かした「体験活動」が、立ち直りに非常に有効だと考えます。
体験活動を通して、適切に失敗体験を積むことで、子どもは、自らの幼児性との折り合いのつけ方を学ぶことができます。また、失敗から適切に立ち上がる経験を積むことで、自分の人生への信頼を回復することができるからです。
具体例として、私が生徒指導主任として、適応指導に関わった事例を紹介します。
古田くんは発達障害がある子で、子ども園時代から「療育」と呼ばれるデイサービスに通って、専門の適応訓練を受けていました。療育に通っていることからもわかる通り、古田くんの障害に対するお母さんの意識は、とても高いものがありました。
しかし、思いの強さ故か、息子が障害に直面するような場面を、排除しようとする傾向がありました。障害の存在を、本人や周囲にひた隠しにすることも含めて。
療育に通う必要があるほどの障害ならば、通常学級にいるよりも、支援学級で過ごしたほうが本来であれば適切です。子どもに不必要な刺激やストレスを与えずにすむからです。しかしお母さんは、こども園からどれだけ勧められようとも、決して支援学級に入れようとはしませんでした。本人や周囲に、障害の存在を知られることを、彼女は何よりも恐れていたのです。
古田くんは自分ができないこと、わからないことに直面すると、パニックになり、泣き叫びだして、その場から逃走してしまいます。ですからお母さんは、そういう場面を徹底して排除しようとしていました。
しかし、小学校への入学というのは、園での生活とは大きく異なりますので、子どもにとってはわからないことだらけです。お母さんは校長に直談判して許可をもらい、登校から下校まで、教室で彼に付き添って過ごしていました。そして彼がパニックにならないよう、四六時中、細心の注意を払っていました。ところが、お母さんがこれだけの労力を払っていたにもかかわらず、2年生の後半ごろから、彼はだんだんと学校へ来られなくなりました。
原因は、友達ができなかったことです。
古田くんは、自分ができることをクラスの仲間ができないのを見ると、ひどくけなす行動に出てしまうのです。自分がわかるのに、他人がわからないような状況でも同じです。これは、実は彼の障害の裏返しなのだろうと思います。自分が分からないこと・できないことに直面したとき、その批判の矛先が、自らに向かうことによって、パニックになる。他人ができないこと・わからないことに直面したときは、その矛先が他人へ向かう、そういうことなのだろうと思います。
多くの子が幼児性・自己中心性を残している1年生のときならまだしも、2年生、3年生となっていけば、この古田くんの態度は、子ども同士の人間関係のなかで、浮いてしまうのは当然です。担任も一生懸命フォローし、周囲の子が彼をいじめるようなことはありませんでしたが、それでも積極的に関わろうとする子は、いなくなっていったのです。
彼が学校へ来られなくなってしまってから開かれた、校内の不登校支援会議の席で、私がここまで書いてきたような事実と見立てを話したところ、私とお母さんが直接話し合いをする機会が設けられることとなりました。
当日は、スクールカウンセラーにも間に入ってもらいました。そしてじっくり、お母さんのこれまでの苦労や思いなどを聞き出してもらいました。それから、彼の不登校に対して、どう見ているかも聞いてみました。すると、私と同じ見立てをしていることがわかったのです。
それならば、と私も自らの発達障害の子育て経験を語り、お母さんに3つの行動を試してもらうよう、提案しました。
一つ目は、家庭でパニックの排除(先回り型子育て)をやめること。二つ目は、パニックになったときは、本人が落ち着くまで「待つ」こと。三つ目は、落ち着いた瞬間を見逃さず、「自分で落ち着けたこと(自分で失敗から立ち上がれたこと)」を認める声がけをすることです。大変だけれども、しばらくはこの3つをがんばってほしいと話し合い、その日は別れました。
そして、2ヶ月ほどたったころ、再び、カウンセラーとともに、お母さんと話し合いをもちました。さすがは専門家で、カウンセラーはお母さんの苦しい胸の内を上手に引き出してくれました。その苦しみのなかでも、お母さんは、子どもがパニックから落ち着く度に、「力強さの欠片のようなものが、子どもの中にたまっていくのがわかるようになってきた」と話してくれました。
そこで今度は、家庭だけでなく、学校や放課後、デイサービスなどでも、この2ヶ月同様に、彼を「見て待ち」、「声がけする」環境をつくってみませんか、と提案してみました。するとお母さんは、長い沈黙の後、「よろしくお願いします」と言いました。
長い沈黙は、お母さんの覚悟を語っていました。その後のお母さんの行動には、本当に頭の下がる思いでした。私も子育てなら、人には負けない苦労をした自信がありますが、古田くんのお母さんほどではありません。
なんと彼女は、参観日の後の保護者会で、同級生の保護者全員に向かって、涙ながらに息子の発達障害を告白したのです。そして、彼を「見て待ち」、「声がけする」環境づくりへの協力を依頼したのです。
あれほど恐れていた息子の障害が知られることを、彼女は自らやってのけたのです。これはなかなかできることではありません。障害に打ち克つ親子とは、こういうものなのだな、と強く感じさせられる出来事でした。

お母さんのこの行動を機に、学級の雰囲気ががらりと変わります。古田くんの仲間をけなす態度や、彼がときおり起こすパニック、そしてお母さんが学級に入り込んでいることについてなど、眉をひそめている保護者も少なからずいたようです。それが、この告白をきっかけに変わっていったのです。
保護者の意識が変わったことで、子どもたちの態度も明らかに変わりました。古田くんが学校に来られない日の放課後は、クラスの子どもたちが彼を公園へ連れ出し、一緒に遊ぶ姿が見られるようになったのです。
そんなことをすれば、もちろん、トラブルやパニックが起こります。でも、それでいいのです。起こることによってこそ、少しずつ、古田くんを「見て待ち」、「声がけする」環境が整っていくからです。
こうして半年後、古田くんは無事、登校を再開することができました。古田くん親子は、不登校を克服したのです。
克服できたのは、不登校だけではありませんでした。周囲が「見て待ち」、「声がけ」してくれるので、彼は自らの障害とのつき合い方を学び取ることもできたのです。6年生になるころには、発達障害の欠片も見られない、学級のリーダーに成長し、立派に卒業していきました。
ここまで見てきた古田くんの事例からもわかる通り、親子関係に起因する不登校や引きこもりは、適切に失敗させ、「見て待ち」、「声がけする」ことによって、克服することは可能なのです。これらの対応は、「新しい学力」を育てることと何ら変わりがないのです。
メールからご連絡いただければ、「新しい学力」づくりや子育て習慣、親子関係の在り方についてアドバイスや実行支援をいたしますので、お気軽にお知らせください。
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