新しい学力(非認知能力)の育成は、発達障害にこそ有効
- ヒロユキ先生
- 2024年7月10日
- 読了時間: 7分
更新日:2024年7月19日
少しだけ、昔話にお付き合いください。
私の子どもは、非常に過敏な、いわゆる「繊細で育てにくい子」でした。新生児期、乳児期、幼児期と経るなかで、だんだんと落ち着いていき、いくらか育てやすくなっていきましたが、新生児期から乳児期にかけては本当に大変でした。
何が大変だったかというと、夜泣きです。「夜泣き」と書きましたが、昼間も泣きます。四六時中泣きます。なぜ泣くのかというと、眠れないからです。彼は感覚が繊細すぎて、ちょっとした刺激にも過剰に反応してしまうので、眠りたいのに眠れないのです。そして、苦しくて泣くのです。
物音や光に過敏に反応し、眠っていてもすぐに目を覚まして泣き叫びます。温度差や皮膚感覚にも敏感でした。ベッドの硬さや温度、肌触りが気に入らないと、泣きます。湿度が40%を下回ると、空気に触れている部分の皮膚がかさかさになってきて、泣きます。
いろいろ試行錯誤した結果、彼が眠れるのはスリングという抱っこひもに入って、お互いの体温が伝わるくらいの薄着で、くっついて揺すぶっている間だけだとわかってきました。わかってはきましたが、実行するのは大変です。妻は日中の授乳と抱っこでヘトヘトです。
とくに苦しかったのは夜です。夜も抱っこしていないと眠らないのは同じです。妻を眠らせないといけないので、私は子どもを抱っこして歩き、授乳の間の20~30分間だけ眠り、授乳後、再び抱っこして歩く……、ということを、一晩中くり返しました。家の中で抱っこしていると、立ったまま眠ってしまうので、大雪の日以外は、冬も外を歩きました。肌着にスリングをかけ、子どもを抱っこしてからオーバーサイズのスキーウェアを着込んで歩きました。ゆっくり眠れないことが苦しくて、苦しくて、いつまでこの苦しみが続くのだろう……、誰か助けてください!と、一人(二人?)泣きながら歩きました。

何度も、何度も絶望感を味わいました。自分の命も、子どもの命も、投げ捨ててしまいたいという衝動に駆られたのも、一度や二度ではありません。
ただ、そんな苦しみのなかでもなぜか、「いま、ここが正念場だ」という確信がありました。いま、ここで手を抜くことは、この子の人生と私の人生に決定的なダメージを与えると、肌感覚でわかっていたのです。これはもう理屈ではありません。ただ、「そうである」「そうとしかありえない」とわかっていた、としか言えません。
こんな苦しみの日々を、2ヶ月ほど続けたころ、子どもの様子に、少しずつ変化の兆しが見えはじめます。布団を人肌に温め、子どものお気に入りのバスタオルでくるむと、短時間ではありますが、ベッドで眠れるようになったのです。おかげで私も、3時間ほど眠れるようになりました。それでも、夜は3時間ごとに起きて、抱っこして歩くことには変わりありませんでしたが。
ただ、このころになると、抱っこしている感覚も、新生児のころとは比べものにならないくらい、柔らかいものとなりました。身体をこちらに預けてくれているのが、わかるようになったのです。それまでは、抱っこされて眠っていても、身体をこわばらせ、堅く緊張した状態だったのです。
それからだんだんと、彼の取り扱い方がわかってきました。車やバス、電車の振動は心地よいらしく、乗車中はよく眠れること。ショッピングセンターのような、人が多く、視覚や聴覚に人工的な刺激の多いところへ連れて行くと、夜泣きがひどくなること、などです。
そうこうしているうちに一年が過ぎ、妻が復職することになりました。子どもにとっては、保育園デビューです。
「いろいろ過敏な子で、難しいところが多い子です」と保育園には説明したのですが、案の定、夜泣きが逆戻りしてひどくなってしまいました。それまで4~5時間ほどは私も眠れるようになっていたのですが、この最初の保育園に通わせている間は、親子ともども、夜はほとんど眠ることができない状態でした。
はじめは、集団生活の影響かと思い、様子を見ていたのですが、同じ状態が1ヶ月以上も続きました。あまりにも子どもの様子がおかしいので、園に問い合わせたところ、他の子と同じような行動がとれないため、別室でひたすらテレビアニメを見せている、テレビを見せているとおとなしくできる、とのことでした。一年かけて、だんだんと現れるようになってきていた子どもの表情が、みるみると失われてきていたので、納得の回答でした。このままでは、子どもが壊されてしまうと思い、その日のうちに、その保育園は退園しました。
妻か私が退職し、家庭で育てることも考えました。しかし、夫婦で話し合った結果、一つの可能性を試してからでも、退職は遅くないという結論に至りました。
その可能性というのが、「斎藤公子メソッド」を実践している保育園への転園です。
斎藤メソッドは、さまざまなバリエーションがあるので、一概には言えないのですが、簡単にまとめるとすると、「徹底した自然保育」といえると思います。
私の子どもを通わせることにした保育園は、一日中裸足で、泥遊びと畑仕事と動物の世話をひたすら行っているところでした。ほとんどの時間を外で裸足のまま過ごし、室内では絵本の読み聞かせや絵画、リズム遊びや器械運動、そして床のぞうきんがけをしていました。リズム遊びなどに使う音楽も、CDなどは一切使わず、生ピアノと生楽器の演奏だけで行っていました。デジタルデトックスが細部に至るまで、徹底されていたのです。
そして、子どもがパニックになって泣き叫んだとしても、「子どもの立ち直る力」を信じて「待つ」ということが、教師の共通理解にもなっていました。斎藤公子さんの保育実践は、健常児と障害児のインクルーシブ教育からスタートしているため、障害のある子への対応として、このような理念が基本に存在しているのです。
この保育園に転園してからというもの、まったくなくなったわけではありませんが、子どもの夜泣きはどんどん少なくなりました。そして、小学校中学年ころには、ついに完全になくなったのです。
もちろん、子どもの障害がなくなったわけではありません。自分の感覚や気になることのほうが、一般常識やルールよりも優先してしまうので、小学生のころは物の管理や片付けがまったくできませんでした。教科書やノート、筆記用具などをそこら中に落として歩くのです。そのため、「○○くん(私の子どもの名前)箱」というものが教室に設置され、私の子どもの持ち物を見つけたら、その箱に入れるという暗黙のルールが学級に存在していたくらいです。
ただ、この保育園へ通ったことでパニックになったり、泣き叫んだりするようなことはなくなりました。おおらかで気の合う仲間を見つけて友だちになったり、きちんと座って先生の話を聞いたりできるようになったのです。
このような経験談から、「4つの習慣」がわが子の発達障害対策であったことがおわかりいただけたかと思います。

まず、何よりも重要だったのが、デジタルデトックスです。テレビを見せることが、どれほど子どもの障害と睡眠に悪影響をおよぼすか、身をもって経験したからです。
そして、「見て待つ」習慣。「見て待って」くれる環境が、子どもの障害の苦しさをどれほど軽減してくれるか、これも身をもって経験しました。周囲がきちんと「見て待って」あげれば、子どもは自らの成長する力によって、障害をなくすことはできなくても、それを環境に合わせてコントロールする術を身につけていくのです。
読書習慣と会話習慣、それに体験活動は、デジタルデトックスを継続していくための工夫でした。こうして続けていった(続けざるを得なかったというのが正直なところですが)「4つの習慣」と「体験活動」が、最終的には早稲田大や大阪大の現役合格へとつながっていったのです。
発達障害というのは、簡単に言ってしまえば、脳の反応のアンバランスさなのだろうと思います。多くの人が鈍感な刺激に対して、過剰に敏感であったり、あるいは、多くの人が敏感な刺激に対して、過剰に鈍感であったりするからです。しかしこれは、結局のところ、程度の問題であり、決して問題行動などではないのです。周囲の反応や本人の習慣によって、いくらでも改善可能なものなのです。
メールからご連絡いただければ、「新しい学力」づくりや子育て習慣、親子関係の在り方についてアドバイスや実行支援をいたしますので、お気軽にお知らせください。
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