中学受験のリスクとリターンをきちんと秤にかけましょう
- ヒロユキ先生
- 2024年7月23日
- 読了時間: 5分
子供の教育には膨大な手間と時間とお金がかかります。まさに、親の労力と時間と資金の投資です。人生の相当量のエネルギーを割くのに、リスクをきちんと認識しないというのは自殺行為です。「周りがやっているから…」なんて、あいまいな理由で教育方針を定めてはいけません。以下を参考にしてみてください。

中学受験のメリット・デメリットを考えるにあたり、まず「大学受験のゴールをどこに置くか」が重要になります。
中学受験をするメリットがあるのは、MARCHレベルの難関大合格をゴールとして設定する場合です。なぜかというと、中学受験を課す中高一貫校は、暗記や計算といった従来型の学力が効率よく身につくカリキュラムを組んでいるからです。
いっぽう、早慶大・旧帝大といった最難関の一流大合格をゴールとする場合、中学受験はデメリットになりえます。なぜなら、暗記・計算といった従来型の学力のほかに、「新しい学力(非認知能力)」が必要になるからです。
別項でもお伝えしたとおり、「新しい学力」は学校で身につけることは現実的ではありません。その理由は、学校という組織の本質に由来するものなので、私立だろうと国立だろうと、中高一貫であろうと、関係ないのです。
「新しい学力」は、「親」が「家庭」で育てる。これは当然のことながら、一朝一夕にできることではありません。小学生、中学生、高校生と、子どもの成長に伴走していくなかで育んでいくものです。
そう考えたときに、体力も脳の発達も不十分な小学生を、中学生が体験するのと同様の環境にさらすというのは、子どもにとって相当な負荷となることは間違いありません。また、そんな子どもを支える親も、相当な負担となることは覚悟しなければならないでしょう。高額な授業料に毎日の学習管理、塾への送迎や説明会への参加なども必要です。中学受験は、金銭的な負担のみならず、体力的、時間的な負担もかかるのです。
このように親子に多大な負荷がかかった状態で、親子で時間をかけて「新しい学力」を育んでいく。これは、とてもむずかしいことのように思われます。このような意味で、中学受験は、MARCH以上を目指す場合には、デメリットになりえると私は考えます。
別項でも触れたように、「新しい学力」が身につくのは、子どもの「行動」とそれに対する「周囲(親)の反応」がマッチしたときです。受験勉強をさせながら、子どもの得意・不得意を見つけてあげられる、または子どもが何に向いているか、どんな力を伸ばしてあげればその子の良さが発揮できるかを考えてあげられる親御さんであれば、中学受験に反対するつもりはありません。しかし、上記のような繊細な営みを、中学受験というハードな環境の中で並行して行っていくのは、並大抵のことではありません。
いざ、受験勉強が始まってしまったら、毎日の学習を計画的にやらせること、少しでも成績を上げて行くことに目が向いてしまうのは、普通の親ならごく自然なこと。そして一度、中学受験というレールに乗っかってしまったら、途中下車ができなくなってしまうのが、この世界の怖いところです。お子さんが遊びやスポーツをしたくても、「いまは受験だから我慢しようね」と、お子さんが本当にやりたいことから遠ざけてしまったり、親自身が目の前の点数しか目に入らず、子どもをまったく見ていなかったりと、「新しい学力」を身につけるために欠かせない親の関わりと真逆の行動に走ってしまう危険性をはらんでいることを、私は危惧しています。この「子どもを見ていない状況」がいちばん問題なのです。それよりも、「新しい学力」を育てることに、親子の時間を集中させたほうが効果的ではないでしょうか。
このように考える理由は二つあります。
まず一つは、「新しい学力」が身についてくれば、子どもは自ら勉強するようになるからです。詳しくは別の記事で解説していきますが、親が意図的・計画的に子どもの自主性を育てていけば、子どもは自ら考え、行動するようになります。
つまり、自分で大学受験というゴールを見据え、自分のいまの学力と残された時間を計算し、目標達成のための段取りを組むことができるようになるのです。そしてそれは、自分で決断し、自分で計画したものなので、目標を達成する可能性もグンと高くなるのです。
二つ目は、自ら考える力があれば、公立校に在籍しようと、MARCHレベルの学力は十分身につくからです。
地方と都市部の教育格差がいわれますが、地方中核都市のトップ校は、いまでも十分に進学校の空気を残しています。勉強しよう、がんばろうという意欲に満ちた生徒や教師が大半なのです。これは、都市部の公立トップ校でも同様でしょう。勉強する雰囲気としては、私立の一貫校と遜色ないのです。
ただ、教師の質が私立に比べ劣ってしまうことは否めません。私の子どもの例でいくと、県内の最難関校といわれる公立高校に通っていたので、一流大を目指す仲間には恵まれましたが、教師の大半は偏差値50程度の県内の大学出身者でした。教師の質は出身大学だけでは測れないことは十分理解していますが、やはり、生徒たちが目指す大学に対して授業が物足りないものになっているのは事実です。そのため、私の子どもや友人たちは、東進衛星予備校の映像授業やZ会の通信添削などで授業の不足分を補っていました。これらの対策も、子どもたちが自主性を発揮して、考えたり話し合ったりして決めたことです。
このように、「新しい学力」が身についてきた子どもたちは、自分の人生を自分の力で切り拓いていけるようになるのです。このようなことから、小学生生活の約半分の時間を中学受験の対策のためだけに使うのではなく、その先の生き方にもつながる「新しい学力(非認知能力)」を育てることに、親子の時間を集中させたほうが良いのではないかと考えます。
二兎追うよりも、より本質的な一兎をしっかり追いましょう、ということです。
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